
「正しく投資すれば、成功する」
Richard HoferはMuller Martiniに37年勤めました。最初は広告部のproduction manager、後にスイスのsales managerになりました。11月末に、63歳と半年で早期退職をします。彼の個人的な彩り豊かなブログで、熟練印刷工としてグラフィックアーツ業界での濃密な職業人生を振り返り、人生の第3ステージに向けたプランをお披露目しています。
カメラマン、ジャーナリスト、刑事―私が子供の頃に夢見た職業は、その当時どれも職業訓練制度はありませんでした。家庭環境がグラフィックに関係していたわけでもありません。ただ、結局この業界に入ったことは、父と関係があるにはありましたが。父の音楽クラブの仲間の一人がオフセット輪転印刷工で、この職業に就くよう勧めてくれたのです。最初は製本工として試用実習を受けましたが、印刷工の方がもっと気に入りました。
そのため、まず書籍印刷工として4年間の職業訓練期間を終え、初めてMuller Martiniの機械に触れることになりました。「グラファ」連帳印刷機と2台の中綴じ機です。その後すぐ、オフセット印刷工としてさらに2年間の職業訓練を受けました。どちらの職業訓練もスイス連邦技能証明書を取得して修了し、いずれもBaselの有名な印刷所で修了しました。職業訓練の後1年間、そこでオフセット印刷工として働きました。
英語圏の国に行きたいと常々思っていたので、1980年に3ヶ月間イギリスに渡りました。その間、BirminghamのIPEXにも参加しました。これが私の最初の見本市視察で、もちろんMuller Martiniのブースに立ち寄りました。その後、1980年代に印刷業界の技能者を求めていたニュージーランドに行きました。その当時、ニュージーランドではグラフィックアーツ業界が活況でした。関税と租税の優遇措置のおかげで、輸出向け(オーストラリア/シンガポール)に大量の印刷が行われていたからです。
ニュージーランド:第二の故郷
Lucerneの代理店を通して、ニュージーランドのノースアイランド最大の都市Aucklandにある印刷所で雇用契約を結びました。ここは経営者がイギリス人で昔ながらの会社でした。後にAucklandの別の印刷所に転職しましたが、こちらは若いニュージーランド人が経営し、はるかに近代的な装備をしていました。そこでもMuller MartiniとHeidelberg社の機械のニュージーランド代理店の方と出会いました。彼はインストラクターの職をオファーしてくれましたが、契約が終了したら旅行に行く方を選びました。それから、ほんの3ヶ月間に現地で出会ったスイス人の仲間2人と一緒にニュージーランドの隅々まで巡りました。このときに、Zurich Oberlandからやってきた将来の妻となる女性にユースホステルで出会いました。その後私は3ヶ月間南太平洋、ハワイ、アメリカを巡り、最後にイギリスとパリへと旅して回りました。
今でもニュージーランドとは深い絆を感じています。そう、私の第二の故郷になりました。ニュージーランドの友人とは今でも連絡を取っていますし、あのとき以降、家族とともに何度かこの国を訪れました。また、今年はニュージーランドで数週間過ごしました。幸運にもロックダウンの直前でした。ちなみに、後にdrupaでMuller MartiniおよびHeidelberg社のニュージーランド代理店の方に再び出会い、彼は再度職のオファーをしてくれましたが、そのときには、すでに私はMuller Martiniと契約していました。
広告映像受賞作品
帰国後1年間オフセット印刷工として勤めた後の1983年、Muller Martini Marketing AGの求人広告に気づき、Zofingenの広告部でproduction managerになりました。12年間、印刷、音声、映像および映画のあらゆる広告物の制作を担当しました。
この時期は私にとってとても刺激に満ちた日々でした。世界中の数多くのグラフィックアーツ会社で収録を行うと同時に、どんな面白い最終製品をお客様が生み出すか生で体験できる機会が得られたからです。現場で映像を撮影し、プレゼンテーション用のスライドを作成しました。一押しの作品は間違いなく、私がプロジェクトマネージャーを務めたイメージフィルム『Sweet Uncle Harry』でしょう。YouTubeでご覧いただけます。この作品は14もの国際的な賞を受賞し、1997年に有名なロカルノ国際映画祭で最優秀広告映像賞を受賞しました。
『Sweet Uncle Harry』は、1996年にMuller Martiniの50周年の式典で初公開されました。その前年、私はdrupaで新任のSales Manager Switzerlandとして紹介されました。私にとって仕事が変わるには理想的な時期でした。その当時、広告部はアナログからデジタルに切り替わりつつあったからです。そして、技術的な世代交代に対処したり、Macや画像編集に奮闘したりする代わりに、全く新しい業務分野に行くことにしたのです。
数多くの刺激的なフィールドテスト
生産財をうまく売ることができるよう、常に次の3つの黄金律に従ってきました。第一:よい聞き手であれ。第二:優れた分析者であれ。第三:お客様と一緒にプロジェクトを発展させるために、客観的な助言を行うべし。
長い年月の間に、スイス市場を深く知ることになりました。Muller Martiniの本国では、グラフィックアーツ業界はとても重要です。今でも過小評価されるべきでない重要な産業です。賃金が高いため、スイスのグラフィックアーツ会社では、とりわけ高い生産性が求められます。そのため、自動化システムのこととなると顧客の要求も厳しくなります。
Muller Martiniと地理的に近いため、私の顧客が新開発の機械のフィールドテストを終えるときはいつも刺激を受けました。今年は、例えば、Zurich近郊のDielsdorfに所在し、郵便物を得意とするKyburz AG印刷会社が、当社の新型「プリメーラPRO」中綴じ機を再び使用しました。機械の最適化に関して、このようなパイロットプロジェクトがいかに両者のためになるか、いつも感心していました。
フィニッシングにも投資
当然ながら、私がsales managerとして過した25年間で、スイスのグラフィックアーツ業界は様変わりしました。一方では、構造変化(キーワード:デジタルメディア)と近隣諸国からの大きな競争圧力の結果として、業界が大幅に縮小しました。他方では、標準化、パフォーマンス、PDFから発送までのフルレベルなどのキーワードがますます重要になってきました。
a)印刷機だけでなく印刷後工程にも投資し、b)ニッチを占め、c)オフセットとデジタル印刷との適切な併用を適切な時期に見つけた会社はすべて、成功への道を歩んでいます。例えば、フォトブックのパイオニアであるZurich州MönchaltorfのBubu AG社は、Muller Martiniの見返しフィーダー/「バレオ」無線綴じ機/「インフィニトリム」三方断裁機で、1部のハードカバー中本(本身)をインライン生産をしています。
以上のようなことと、フレキシビリティの高さ、一流の品質、フルサービス、そして顧客への近さが相まって、スイス企業は高賃金の国でも生き残ることができています。そして、こうしたやり方で、限られた市場でもよい結果を出し続けるでしょう。結局、特に今のコロナ危機は、ネット上の多くのフェイクニュースに対応するため、高品質の印刷物の需要があることを証明しています。
とはいうものの、デジタルへの移行プロセスは完成にはほど遠く、手作業を減らし、そして人手を減らすためには、新しいワークフローソリューションや、さらに進んだ自動化が必要だと確信しています。このような投資を行う企業はこれからも好成績を出し続けるでしょう。たとえ印刷物に数量の点でかつてと同じような重要性はなくなるとしても、印刷は今後も依然として重要であるとも確信しています。
同じ目線での接客―2つの例外
私が常々大事にしてきたことは同じ目線での接客です。あいにくスイスのお客様が上から目線だったのは2回だけです。身長が2.01mある私相手では、それもそれほど簡単ではありませんが。その2社とも姿を消したことが慰めとして心に残っています。
あるドイツのお客様はその流儀(そしてちょっとしたユーモア)もありだと証明しました。彼は私たちを迎え、ベルリン人にありがちなぞんざいな口調で、メイルルームにある「プリントロール」に関する写真報道に対して次のように述べました。「御社のシステムはあなた方スイスの予備兵のようだ」。むろんそれは控えめながらも的確な表現です。実際、その方は当社のバッファシステムに本当に問題を抱えていたからです。
もう一度私の職業人生を歩むとして、すべてを全く同じようにするでしょうか?大問題ですね!ただ、一つ確かなことは、多くのことはやはり全く同じようにするでしょう。印刷工として仕事を学んだことから、中綴じ機、無線綴じ機、上製本ラインおよびメイルルームのセールスマンまで、刺激に満ちた業界で働くという恩恵が受けられました。そのため私の職業人生を振り返ってみると、大いに満足し、また感謝の気持ちでいっぱいです。特に、小企業から大企業、製本会社から新聞社まで、数え切れないほど多くのお客様とのたくさんの面白い出会いは忘れません。
私は常に16mmのイメージフィルムのタイトルである「グラフィックアーツ業界のために」を貫いてきました。これは1980年代からですが、そのモットーは今でもMuller Martiniにも私にも当てはまります。特に現在のコロナの問題を考えると。
「さらに高速に」から「フィニッシング4.0」と「スマートファクトリー」へ
私がグラフィックアーツ業界全体を大きな家族と見なしているのとちょうど同じように、Muller Martiniが家族経営の会社であることは、特殊な企業文化の中で日々気づくことです。従業員は高く評価され、大きな信頼を寄せられています。さらに、経営陣は従業員に対する責任感が強く、このコロナの年のような厳しい時期には特にそうです。そのため、毎朝意欲的な気持ちで仕事に出かけました。
この長い年月を通して私が魅了されてきたものは、Muller Martiniが生み出す技術革新です。近年フィニッシングがますます重要になってきてからは特にそうです。グラフィックアーツ業界が高品質の最終製品を経済的に製作できるように、業界に絶えず新たなアイデアを提示しようとしています。かつてモットーは「さらに速度・効率を高めたサイクルタイム」でしたが、今では部数の小口化の結果として、標語は「フィニッシング4.0」と「スマートファクトリー」になっています。それで、特に大きなヒット製品として覚えている機械を1つあげるとすれば、可変フォーマットで高効率の「インフィニトリム」三方断裁機です。
しかし「シグマライン」デジタル書籍生産システムも思い出します。これは2004年のdrupaで世界初公開し、同業者の間で大きな反響を呼びました。そしてもちろん、「プロライナー」のようなメイルルーム用の新聞インサーティングシステムは、その機構だけでなく、制御とモニタリングシステムが印象的でした。
今まで一度だけとても悲しいことがありました。Muller Martiniが2014年に可変サイズのオフセット輪転印刷機の生産を中止したとき、熟練印刷工としては正直心が痛みました。
drupaの高い重要性
そしてもちろん、6月にまたdrupaに行きたいと思っていました。9回目の参加となるはずでした。コロナ危機のために今はデジタル見本市の話がたくさんありますが、グラフィックアーツ業界を映す鏡として、私はやはりdrupaを非常に重要視しています。Düsseldorfに近いことからスイス企業では特に人気です。会社のオーナーから職業訓練生までこぞってDüsseldorfに赴きます。
次回のdrupaは予定通り2021年4月に開催できるのでしょうか?現在のコロナの展開から、それは疑問です。プライベートで今度も行くかどうかは、Muller Martiniから入場チケットをいただけるかどうか次第です。冗談はさておき、このイベントの要点を押さえるためにも、参加するという選択肢を排除することはないでしょう。
これから寂しくなることはたくさんあります。Excelファイルに記入しなければならないものが増えていく風潮など、そうでもないものもありますが。また当然ながら、最後の数ヶ月の仕事はコロナの大流行、構造調整や再編のためにそれほど楽しいものではありませんでした。それでも、不都合なことばかりではありませんでした。人生で初めて操業短縮に直面し、退職後の生活の心構えをしっかりすることができました。
地域社会の政治活動に多くの時間
人生の第3ステージを前向きに楽しみにしています。時が過ぎるのはあっという間なので、年金生活の毎日を楽しみ、趣味のブラスバンド音楽、写真や読書(もちろん、印刷したものです!)にもっと時間を割くつもりです。また、スイスの民兵制の熱心な支援者として、居住地では議会議員兼副議長を務めています。これからは、夜や週末ではなく日中に快適にその務めを果たすことができます。それから、もちろんまたニュージーランドに旅行に行くつもりです。コロナが終息すればですが。
敬具
Richard Hofer
Muller Martini Switzerland、Sales Manager